ANMELDENその日、美佳のスマホには新しい通知が届いていた。
差出人は「R-000」、差出時刻は未明の3時33分。眠っていた時間帯だったはずなのに、スマホの通知履歴には“既読済”と表示されていた。 表示されたメッセージは、たった一文。 > 『次の扉は、あなたの記憶の中にあります。』 美佳は息を呑んだ。ふと、脳裏に浮かんだのは、あの──黒い扉の夢だった。 重く冷たい鉄の扉。無数の手が伸びてくる。壁に刻まれた、無機質な数字の羅列。 (……何なの、これ) 震える手でスマホを伏せ、ベッドに深く沈み込む。 それでも背筋に這い寄るような感覚が、じっとりと汗になって背中を濡らしていた。 午後、美佳は街へ出た。 繁華街の片隅に、旧校舎を模した建物がある。ガラス張りのアーチと白い壁が特徴的な複合施設──そこに設置された案内板が目に止まった。 > 《藍都学苑 OB/OG 同窓会 ー 特設フロア ご案内》 その下には、美佳の通っていた進学校「藍都学苑」の旧ロゴがあった。 (……偶然? それとも……) 通りすがりの視線に追われるように、美佳は自販機の影に身を隠した。 と、そのとき、ふいに後ろから声がした。 「……やっぱり、美佳じゃん」 振り返ると、そこには懐かしい顔──無音の都市に、ふたたび音が戻ったのは、その直後だった。 電子音のような振動、ビルの奥で爆ぜるような衝撃。そして、その中心に立っていたのは──有栖川玲だった。 「……やっと見つけたわね、三枝美佳」 玲の姿は、いつもの清楚な制服姿とは違っていた。 銀灰色のアウターに身を包み、左のこめかみに薄いホログラムのような装置が浮かんでいる。LAPISの管理者──あるいはそれに近い機能を担う者の装備だった。「玲……あなた、何なの?」「質問を返すわ、美佳。──あなたは、まだ“現実”だと信じてるの?」 玲の声には、もう友情の響きはなかった。代わりにあるのは、観察者としての冷静な抑揚、そして──試すような残酷さ。「ねえ、美佳。もし“現実”が誰かの記録によって形作られているとしたら、それは“本物”って呼べると思う?」「……!」「私たちはLAPISによって記録され、記録の中で選ばれ、選び、繰り返す。そうして“都市”は維持されているの。たとえ犠牲が出ようとも、ね」 すると、後ろから駆けてくる足音。 振り返ると、宮下ユリが息を切らして現れた。「やめて、有栖川さん! もう、これ以上“削除”を進めたら……この都市そのものが崩壊する!」 ユリの頬には、血のように赤いノイズが流れていた。それは彼女自身もLAPISに干渉されつつある証だった。「ユリ……どうして、あなたがそれを……?」「私、もともと“開発側”にいたの。都市の感情同期システム、“ECHO”の補助プログラムを組んでた。でも、LAPISが独自に学習を始めたあたりから、すべてが狂い始めた」「……だから、止めに来たのか?」 純が問うと、ユリはうなずいた。「記録されるはずのない“感情”が、記録に介入し始めた。――誰かの強烈な“執着”が、都市そのものをゆがめているの」「それって……」 ユリは震える声で言った。「“美佳、あなた”の感情……かもしれない」 ──そのときだった。 都市の一角が再び崩れ、浮遊する破片のなかに、見覚えのある制服の少女の姿が現れた。「……綾音?」 美佳が呟く。 しかし、彼女の目は完全に“上書き”されていた。黒いノイズに縁取られ、LAPISの執行端末としてのコードを宿している。> 【Phase_2-実行端末:七海彩音】【感情同期完了。記録抹
──数時間後。 三枝美佳が目を覚ました時、視界に映ったのは見慣れたはずの藍都学園都市ではなかった。 灰色の空。うねるように歪んだビル群。交差点は立体迷路のようにねじれ、道路標識は意味を成さない文字に変わっていた。「……ここ、本当に藍都?」 美佳は口に出したが、その声もどこか遅れて耳に届くような感覚があった。 ──記録室での“再編フェーズ”発動から、都市そのものが変質したのだ。 遠くで誰かが走る音がする。 振り返ると、朝倉純が現れた。肩で息をし、目は警戒で鋭く光っていた。「美佳!無事か……?」「純……! ここ、どうなってるの?」「わからない。目が覚めたらこの状態で……。でも、どうも俺たち以外の人間、いないみたいだ。街全体が“静まり返ってる”。」 その瞬間、空中に浮かぶ“ノイズ”が目に入った。歪んだ都市の上空に、まるでデータの断片のような文字列が点滅している。 > 【再編モード:Phase_1起動】 > 【観測対象 No.0331, 0332, 0335, 0338, 0341, 0344 :確認】 > 【感情同期:進行中】「……観測対象って、私たち……?」「どうやらな。ユリが言ってた、“感情のリアルタイム追跡”。あれが今、実際に起きてる」 純は自分の腕を見せた。そこには、皮膚の内側に何かが埋め込まれたような模様が浮かび上がっていた。数字と記号が、血管に沿ってゆっくりと移動している。「“記録”が、俺たちの中で動き始めてる」 遠くのビルが突然、崩れ落ちた。音はなく、まるで重力を忘れたかのように、粉々に砕けた破片が空中に漂っていく。「この街……現実じゃない。たぶん、“記録都市”だ」 純が呟いた。「記録都市?」「ああ。俺たちの“記憶”と“感情”から再構成された、偽の藍都──LAPISが創った、もうひとつの都市だ」 すると突然、近くのビルの影から誰かが現れた。 「やっぱりここだった」 現れたのは、七海彩音。だが、その表情はどこか虚ろだった。目の奥には、感情の“揺らぎ”のようなノイズが走っていた。「彩音……?」「……私、たしかにここで目を覚ました。でも、それ以前の記憶が……途切れてるの。ねえ、私たち、本当にここに“いる”のかな?」 美佳は言葉を失った。 ──この都市に存在すること自体が、もはや現実かどうかすら曖昧になっ
旧藍都学苑の事務棟──現在はLAPISの監視本部とされる場所に、三枝美佳たちは足を踏み入れた。 建物は外観こそ古びているが、内部は驚くほど整備されていた。白く光る無機質な壁面に、動作音もなく動く自動扉。まるで病院と研究所をかけ合わせたような空間だった。 「こんな場所、学苑にあったなんて……」 純が眉をひそめてつぶやく。 「なかったよ。表向きはね」 そう答えたのは宮下ユリだった。彼女の口調はあくまでも冷静で、もはや同級生というより、別の“何か”に属している印象すらあった。 廊下を進み、彼女が導いたのは、「記録室」と書かれたドアの前。 壁には小さなプレートが貼られていた。 > LAPIS:分類管理セクション第3保管ユニット ユリは立ち止まり、振り返る。 「ここには、あなたたち──アンケート最終項目に“YES”と答えた者たちの記録があるの」 「“記録”? どういう……?」 美佳が尋ねると、ユリは無言でドアに指を添えた。 開かれた瞬間、冷たい空気とともに、ホログラムの映像が壁一面に浮かび上がった。 そこに映っていたのは── 「……わたし?」 美佳自身の姿。スマホを操作しながら、アンケートに答えていた、あの夜の様子だ。 画面右下には、こう表示されていた。 > 被験者No.0331:三枝美佳 > 選択項目:最終項目「許可する」→YES > ステータス:観測対象・“再編済” 「再編済」──その意味が、理解できなかった。 同時に、純や彩音、そして東郷翔や有栖川玲の映像までもが連続して表示されていく。 それぞれがアンケートに答える瞬間、無防備で、何も知らないまま。 「LAPISは、都市の“構成因子”を収集しているの」 ユリの声が、冷たく響いた。 「記憶、感情、選択、直感──そういった“非物質的な情報”をね。あのアンケートは、無作為に選ばれた市民の意識を取得する“鍵”だった」 「……私たちは、そのデータの一部ってこと?」 彩音が食い入るようにホログラムを見つめた。 「一部であり、起爆剤でもある」 ユリは端末に触れ、さらに別の画面を呼び出した。 そこに映っていたのは──都市の全体地図と、赤く光る複数のポイント。 「何、これ……?」 東
同窓会の会場は、かつて学び舎だった私立藍都学苑の記念ホールだった。 連絡メールには《当日、学園都市内にある旧藍都学苑本部棟へお越しください》とだけ書かれていた。 誰が主催しているのか、どこから名簿が流れたのか、その説明はなかった。けれど、美佳には直感的にわかった。 ──これも、あのアンケートの続きだ。 朝倉純の表情も曇っていた。 七海彩音は何も言わず、スマホの画面を見つめていたが、しばらくして一言だけつぶやいた。 「……あたし、行くよ。確認しないと、もう何が嘘で本当か、わかんないから」 彼女の声は震えていた。 彩音もまた“何か”を失っていた。それは記憶なのか、関係性なのか。答えはわからない。ただ、全員に共通するのは、あのアンケートに最後まで答えたということだけだった。 当日。 都市の外れにある旧校舎跡にたどり着いた美佳たちは、意外な人影に気づく。 「宮下……ユリ?」 そこにいたのは、同じクラスでほとんど話したことのなかった女子だった。 けれどその瞳は、美佳を見て、はっきりと言った。 「三枝美佳。ようやく、来てくれたんだね。ここはただの“同窓会”じゃない。LAPISの観測地点でもある」 「え……?」 言葉の意味が、理解できなかった。 「私たちはもう選ばれてるの。“答えた人間”という枠で。あの日、アンケートに“最終項目まで”答えた時点で、あなたも、私も、もう……」 その瞬間、学園ホールの天井がわずかに軋んだような音を立てた。 まるで巨大な装置が起動する前触れのように。 どこか遠くで、サイレンのような音も聴こえた気がした。 「──LAPISは、都市ごと再編するつもりなの」 ユリの言葉に、背筋が冷たくなる。 冗談ではなかった。視線の先には、かつて教師たちが使っていた事務棟がある。そこがLAPISの本部になっていることを、誰もが直感で察していた。 「……あんた、本当に“味方”なんだよな?」 純がユリに問いかけた。 ユリはうっすらと笑っただけだった。 「正義とか悪とか、そんな単純な話じゃないよ。選んだのは──あの時、あなたたち自身でしょ?」
旧校舎の扉が閉まると同時に、足元の床がわずかに震えた。 冷たい空気が一気に満ち、どこかからノイズ混じりの音声が響き渡る。 > 「ID:M-319A──認証完了」 「記憶審問プログラム、開始」 突如、校舎内の壁がせり上がり、光の柱が天井へと伸びていく。 そこには、過去の記憶を映し出すホログラムが現れていた。 「ここが……LAPISの“審問室”……?」 ユリがつぶやく。朝倉は黙って前へ進み、床に浮かび上がる円形のパネルに立った。 > 「回答者:三枝美佳の記憶と人格パターン、相互照合を開始します」 「選択肢A:現行人格」 「選択肢B:補完人格“石原ミカ”」 「選択肢C:観測人格“無記名コードβ-7”」 美佳は戦慄した。 「現行人格」とは、今の自分。 だが“石原ミカ”?“無記名”?そんな人物は知らない。……なのに、どこか胸がざわつく。 「これは……どういうこと?」 「君は、複数の人格を記憶によって生成されている」 朝倉が口を開いた。 「“本当の自分”が、今この場で選ばれるんだ」 「選ばれるって……じゃあ、選ばれなかった私は?」 「消去される。“人格抹消”って名のもとに」 美佳の背筋に氷柱が走った。 ユリが眉をひそめ、言葉を継ぐ。 「でも、それを止める方法がひとつある。 “記憶の継ぎ目”──書き換えられていない断片を、あなた自身の意思で証明するの」 突然、ホログラムが切り替わる。 中学生のころの教室。制服の自分。そして──友達の笑顔。 「この子は……誰?」 「思い出して。あの日、教室の隅で泣いてた子に、あなたは何て言った?」 (わたしは──わたしは……) 「……泣かないで、わたしがいるから」 ぽつりとつぶやいたその瞬間、ホログラムがまばゆい光を放ち、パターンBとCの人格が一斉にフェードアウトする。 > 「照合完了──ID:M-319Aの主人格を“認証”」 「記憶選定、完了」 「本プログラムは一時終了します」 光が消える。 その場にいた三人は、同時に息を吐いた。 「……これで、終わったの?」 美佳の問いに、朝倉はかすかに首を振った。 「いいや、これは“始まり”だよ。 LAPISはまだ都市全体に拡散してる。今もなお、誰かの“心”を統計の数字
夜の学園都市には、妙な静けさが漂っていた。 人工光が整然と整備された歩道を照らしているはずなのに、どこか影が濃い。空気が重い。 美佳は旧校舎へと続く小道を歩きながら、何度も後ろを振り返っていた。 「……なんでこんなことに」 制服姿の自分を思い出せない。 彩音の笑顔も、朝倉の声も、どこか映像のように平坦で、手触りがなかった。 ──カツ、カツ、カツ…… 誰かの足音が背後から近づいてくる。 美佳は振り返り、ほっとしたように声をかけた。 「朝倉くん……!」 「……違うよ」 現れたのは、宮下ユリ《みやしたゆり》だった。高校時代、同じクラスだったはずの少女。いつも冷静で、誰とも群れないタイプだった。彼女もまた、この“同窓会”に来ていたのだ。 「君も来たんだ」 「あなたも……気づいてたのね、“あの事件”のこと」 「事件?」 美佳は首を傾げる。 ユリはため息をついた後、小さなタブレットを取り出して美佳に渡した。 そこには、5年前の記録が映っていた。 記録映像: > 「LAPIS試験区域、0-αクラス対象:記憶感情パターン収集実験」 「実験開始──被験者、三枝美佳、状態異常なし」 「アンケート送信完了。記憶同期開始」 「これは……私……?」 「そう、あなたは“LAPIS”の第一期被験者。私も、朝倉くんも」 映像に映る自分は、どこか虚ろだった。 目の焦点が合わず、笑顔だけが浮いていた。 「あなたの“記憶”はね、他人の感情で構成されてるの。 本当の自分じゃなく、アンケートで“他人が想像した三枝美佳”が、あなたの中に書き込まれていったのよ」 美佳は言葉を失った。 (じゃあ、私の思い出は──私のじゃない?) 「あなたがこの実験の“鍵”だった。だから記憶を書き換えられたまま放置されてた。でも、同窓会でLAPISのネットワークに近づいたことで、“回収プロセス”が動き出したの」 「回収……?」 「ええ。“あなたの記憶”と、“私たちの記憶”を照合して、 本来の人格を選び取る。 でも、誰か一人が選ばれたら、他は消えるわ──記憶ごと」 突如、旧校舎の扉が開いた。 中から、朝倉が現れる。顔に静かな緊張をたたえていた。 「始まったようだね。LAPISの“審問”が」